フィリピンに住んでいると友人から「危ないんじゃないの?」とよく言われます。実際には全く問題ない場所がほとんどなのですが、何故「日本は安全で海外は危険」というイメージが根底に広がっているのかについて考えてみました。
日本で生活していると、当然の事ながら日本の文化が自分のスタンダードになります。例えば電車が到着すればドアの左右に避けて降りる人を優先させることや、ゴミをゴミ箱へ捨てること、そして地域によっては非常に細かく分別すること。道路では信号は基本的に必ず守ること、などなど。日本にいれば当然のことであると思います。
一般的な認識の中にあることですが、海外には海外の文化があり、それが違いになります。例えばフィリピンではエレベーターが到着すると、乗り込む人が降りる人を待っていたりはしません。しばしば両者がぶつかったりします。日本人としての自分がその状況に置かれると不便さを感じると共に、常識がないなあとふと感じることは正直ありますが、ここは日本ではありませんので自分の常識はこの土地の常識ではありません。
言葉で語られると至極当然の話だ、ローマに入ればローマに従えだ、と考えいている人は多いし、それは正しいことです。しかし文化や常識の隔たりを頭で理解していることと、実際にその状況に置かれて経験していることは随分違います。グローバリゼーション、ダイバーシティーなどとカタカナ言葉で語られても、なかなか響かないと思っている方がいたとすれば、それもまた正しいことではないでしょうか。
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日本でも夜道を1人で歩くことは必ずしも安全とはいえません。スリ、ひったくりなどの軽犯罪と呼ばれるものであったり、女性であれば痴漢に遭ってしまうかもしれません。リスクは日本にも存在している以上気をつけるに越したことはないと思いますが、「自分は大丈夫だろう」という慢心がどこかにあり、結果的に何か起きてしまってから対策を講じていなかった自分を責めたり悔やんだりすることが多いのではないでしょうか。
筆者はこれまで台湾、トルコ、スペイン、モロッコへの渡航とフィリピンでの在住(3年目)を経験していますが、それぞれの国に共通して言えることは「皆しっかり警戒している」ということ。隙を見せているような人があまり見当たらない事です。カフェで席を取るためにコートやカバンを置いてレジに並んだりしません。お尻のポケットから財布が見えている状態で人混みを歩いたりもしません。ほとんど全ての人たちが小さい頃からその国の文化の中で「自分の身を自分で守る」ことを徹底して教えられてきたのだと思います。それは強制的な教育でもなく、周りが自然塗装しているから覚えただけ、ということです。
海外の夜道を1人で歩くのを避けようと警鐘を鳴らしている旅行雑誌をよく見かけます。それは海外が日本と比べて圧倒的に危険であることを伝えているのではなく、「日本人の常識はその国の普通では無いので、ここに書いてある注意事項を守って渡航国の常識に合わせましょう」と言っているだけであるわけです。更に言えば、海外旅行の短期間にその地域の常識に適応できる人など滅多にいないわけなので、大げさぐらいでちょうどいいのだよと教えてくれているということ。筆者が住んでいるフィリピンのマニラで、タンクトップで女性が音楽を聞きながら颯爽とジョギングで町中を駆け抜けていたり、ゴールデンレトリバーを連れた家族が楽しそうに散歩をしている実際の姿をどれだけの日本人が想像できるかといえば、それはそれは少ないと思います。しかしそんな街であっても皆警戒しているのです。
海外旅行・海外転職での移住で劇的に置かれる環境が変化した時に、「海外の夜道を1人で歩くことは危ないのかどうか」という疑問は愚問であることがわかると思います。その場所の常識を認識し、溶けこむ。そして外国人として日本の文化のいいところを海外に広めていくことができれば、それはとても価値のあることだと思いますよ!
【今日の本棚】
キーワード:「ダイバーシティー」「異文化理解」「グローバル化」
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