2015年5月3日、「世紀の一戦」として世界中で話題になったマニー・パッキャオ対フロイド・メイウェザーのボクシング。フィリピンの英雄として名高いマニー・パッキャオですが、その魅力や人気はどこから来るのでしょうか?実際に現地セブに在住しているからこそわかる筆者の視点で簡単に解説します。
フィリピンの国民的英雄であり、ボクサーとして世界的に名高いマニー・パッキャオ。彼はフィリピンの中でも知る人ぞ知るスポーツ選手です。日本で言う長嶋茂雄さんを遥かに超えるような人で、小さな子どもからお年寄り、性別を問わずして人気を博しています。なぜそこまで人気を集めるのか、それにはこれまでの彼の人生のストーリーが大きく関係しているとも言われています。
マニーパッキャオのボクシングの強さは折り紙つきで、なんと8階級を制覇(日本では6階級と言われることもある)したという尋常でない結果を残しています。2015年の時点で36歳。世紀の一戦では右肩を負傷した状態で試合に望み、結果は敗戦となりました。フィリピン国内では復帰への期待が既に高まっています。
叩き上げの人生
フィリピンで最も有名なボクサーであるパッキャオの生い立ちは、決して恵まれたものではありませんでした。今でこそ英雄としてフィリピンでは知らない人が居ないほどですが、貧困と呼ばれるほどの立場から現在まで、まさに叩き上げの人生と言えます。
1978年12月17日にフィリピン、ミンダナオ島中部のブキドノン州キバウェで母親と2度目の結婚相手との間に6人兄弟の4男として産まれる、一日一食の日もあるほど貧しい野菜農家であった。パッキャオが初等学校6年の時、父親が別の女性と同棲しているのを母親が見つけ両親が離婚[5]、母親が工場のパートタイムや野菜の路上販売で一家の家計を支えるようになる。パッキャオはミンダナオ島南部の南コタバト州ジェネラル・サントスの初等学校を卒業するが貧困のため中等学校を中退[6]、家計を助けるため路上で花やフィリピンのパン「パン・デ・サル」や煙草のバラ売りをしていた。ボクサーとして成功する前は建設作業員として働いていたことがあり[7]、現在はジンキー夫人と結婚、3人の息子と2人の娘がいる[8]。
フィリピンのミンダナオ島はマニラやセブに比べてまだまだ発展している地域ではありません。セブの人に話しを聞いてみても「都市となっているダナオ以外は、正直何があるのかよくわからない」といった様子です。またフィリピンは人口統計でもよく話題になることとして、1家庭当たりの子供の数が非常に多く、一人っ子はほぼいません。平均6人とも8人とも言われるような家庭のため、収入がそれほどないのにもかかわらず大きな支出が生じます。そのため、上の引用にも記されているように1日1食という状態はさして珍しい家庭環境ではありません。
スポンサーリンク
またパッキャオの青年時代は路上で花やパン、たばこを売っていたと紹介されています。これも非常によくあることで、特に花の場合は貧困地域の子どもたちが信号待ちをする車の列を縫うように歩きながら、花を高く掲げ男性に売ります。これは女性に花を渡すようにとの事なのですが、もちろんみんな毎日花を渡すわけではないので、大きな収入にはなってきません。同じようにたばこ、パンのほか、引用にはありませんがセブでは水、お土産、スナック菓子、車用品、タオル、豆、新聞、ろうそくなどが販売されています。一見これは貧困状態の人々が押し売りしているように見えるかもしれませんが、信号待ちの人たちは必要であれば普通にこういった道の物売りの人たちから物品を購入します。日本とは大きく異る文化ですね。
ヒーローとしてのパッキャオ
そんなパッキャオは14歳でミンダナオ島から首都のマニラに出稼ぎに行きます。ここから本格的に彼のボクシング人生がスタートしていったようです。路上で寝泊まりをしながらボクシングのトレーニングを重ね、後にフィリピンのアマチュア代表チームに入ることになります。16歳でプロデビューを果たした後、敗北した試合もあったものの順調に勝ちを重ねていきます。1998年にWBC世界フライ級王者となりますが、翌年に敗北し王座を奪還されます。
この後は様々な試合で破竹の勢いで勝利を重ねていきます。パッキャオの人気は勝利数だけでなく「強い相手を撃破する」その強さにあるとセブの人たちは話していました。下馬評ではパッキャオが負けるであろうという試合をことごとく制し、番狂わせを演じるヒーローとしてのパッキャオが国民を熱狂させているのかもしれません。事実パッキャオはあだ名を「パックマン」と呼ばれていて、大物をパクっと食べてしまう強さを表しています。筆者がセブで試合を見た時も、ラスベガスでの実況でパックマンと名前が連呼されていたので間違いないです。
今回のメイウェザーとの試合でも、セブの人たちは「メイウェザーの方が強いかもしれないけれど、なぜかパッキャオが勝つと信じられる、勝つような気がする」と話していたのがとても印象的でした。
政治を始めとする他の分野でも活躍
2010年に国会議員に当選したパッキャオは下院議員としての職務をこなす傍ら、フィリピンで最も人気のあるバスケットボールの選手兼コーチとしても活動しています。ボクシングの練習に時間が割かれるため、議員としての活動がおろそかになることもあるようなのですが、そこは人気でカバーできてしまうのがフィリピンの国民性です。
国のことを考え、国で一番人気のスポーツにも関わり、更に世界最高のボクサーの1人出ありながら慈善活動にも取り組むパッキャオ。世界的にも稀な立場で日々を過ごす彼だからこそ、国全体から視線が注がれ英雄としての地位を確立しているのだと思います。
ボクサーとしてのキャリアが終わった後、パッキャオが次にどういった方向で人生の舵を切っていくのか。また、パッキャオがフィリピンだけでなく世界中にどういったインパクトを残していくのか、今この国では誰もが数年後の彼に期待しています。
【追記】
パッキャオの引退最終戦が決定したとの報道がなされました。
ボクシングの元世界6階級王者マニー・パッキャオが1月19日、ロサンゼルスで記者会見し、4月のティモシー・ブラッドリー戦で引退すると表明した。
会見でパッキャオは「この試合でグローブを吊すことができて、とても幸せだ。試合後は寂しいと感じるに違いない。だが、それが人生というものだ」と述べている。
メイウェザーとの決戦で初めてパッキャオの試合を観戦して、そのアグレッシブな試合運びに引きこまれた方も多いのではないでしょうか。2016年4月のティモシー・ブラッドリー戦で引退するとのことですが、最後までフィリピンと世界中のボクシングファンを虜にするパッキャオのボクシングに期待しましょう。
【写真参照元】
Boxing News and Features at the Official Web site of The Ring Magazine - Ring TV
Manny Pacquiao On Floyd Mayweather, Jr: 'We're Just Waiting On Him'
スポンサーリンク

ローカルボクサーと貧困世界―マニラのボクシングジムにみる身体文化
- 作者: 石岡丈昇
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
【関連記事】