2016年1月26日、天皇皇后両陛下がフィリピンの首都マニラを訪問されます。現地マニラに住んでいる日本人として様々なことを考える機会にもなりました。両陛下は今月30日に帰国されることになっていますが、今回は転載記事として今回のご訪問と現地の歴史などについても解説します。
転載元記事:天皇皇后両陛下が訪問されるマニラに住んでいる身として考えること
筆者が自分が感じたことやマニラのことを書き出す前に、基本情報としてまずは今回の天皇皇后両陛下のフィリピンご訪問の日程について。
両陛下のフィリピン訪問は、皇太子夫妻としての昭和37年の訪問以来54年ぶりで、26日午前、政府専用機で羽田を発って、フィリピンの首都、マニラに入られます。
両陛下は27日、大統領府のあるマラカニアン宮殿で、歓迎の式典や晩さん会など国賓としての公式行事に臨んだあと、28日にはフィリピンの人々や現地で暮らす日本人、それに日系人などと交流を深め、国際親善に努められます。
そして29日、太平洋戦争の犠牲者のため、日本政府がマニラ郊外のカリラヤに建てた慰霊碑を初めて訪ねられます。フィリピンは、日本人だけで50万人以上が犠牲になった太平洋戦争の激戦地で、カリラヤの慰霊碑は、海外で命を落とした戦没者を追悼したいという両陛下の意向を受けて訪問先に加えられました。両陛下は遺族や元日本兵たちも見守るなか、慰霊碑の前に花を供えて戦没者の霊を慰められます。両陛下は、フィリピン側の犠牲者を追悼する墓地も訪れる予定で、今回の旅で日本とフィリピン両国の戦没者を慰霊されることになります。
訪問は、全体で5日間の日程で、両陛下は今月30日に帰国されます。宮内庁によりますと、両陛下はこれまで戦没者の遺族や訪問先の関係者をお住まいの御所に招いて話を聞くなどして、訪問の準備を整えてこられたということです。皇室によるフィリピンへの訪問は、平成10年の秋篠宮ご夫妻以来のことで、平成に入って2度目となります。
明日の午前中に政府専用機でニノイ・アキノ国際空港に到着される予定ですが、この空港は世界ワースト空港にも選ばべている不名誉な空港です。マニラに住んでいるとこの空港を使うことが度々あるために、「これが世界最悪の空港だとすれば世界のどこでも耐えられる気がする」といった感情が芽生えてきます。不便なことは不便ですが、東南アジなどを旅行したことのある方であれば「このくらいは海外なのだから仕方ない」と許容できる程度でもあると思います。人が作ったものですから古くもなって使い勝手も悪くなっていきますし、今後改善されていくことを期待しましょう。
27日に訪問される予定の「マラカニアン宮殿」とはフィリピンの大統領官邸です。ここはスペイン統治時代の名残を残す歴史的にも観光地としても有名な「イントラムロス」にほど近い場所。イントラムロスから海側を見るとフィリピンで最初にオープンしたいわゆるフラッグシップホテルのマニラホテルもあります。しかし、周辺は治安が最も良いエリアとは言えません。マラカニアン宮殿が面するパシグ川もなかなかの汚染度です。護衛を含む車列がこのエリアを走ることになるのでしょうけれども、否が応でもマニラの貧富の差を両陛下も目にされることになると思います。
すこし余談ですが、「メトロ・マニラ(Metro・Manila)」と「マニラ(Manila)」が同じものであると認識されている方がほとんどではないかと思います。日本で非常に誤解されがちなことですが、実は現地ではこの2つ、全く違うものとして認識されています。前者は首都圏のエリアを意味しており、後者は首都圏エリアの一部分のみを指します。日本で例えれば前者が「東京23区」、後者が「その中の1つの区」といったところです。ですから首都圏のメトロ・マニラに住んでいるフィリピン人が「明日マニラ行くわ」と発言することもありますし、メトロ・マニラの中で電話していて「今どこにいる?」「マニラ!」と返答してくることもあります。わかりづらいのですが、これは是非この機会に知っていただきたいなと思います。「東京の中に東京区というエリアがある」といったところです。
更に日本と同じように、それぞれの区のようなエリアの中にはかなり異なる個性があります。例えば筆者が住んでいるタギグ(Taguig) はシンガポールのような高層ビルが立ち並ぶエリアで女性がタンクトップでジョギングをしていたり、大型犬と散歩していたりしても全く治安上問題ないエリア。その1つ西側の街マカティ(Makati)は経済の中心街で電車も通っていて、見上げるほどのビル群に圧倒されます。更にその北西辺りがマニラで、マニラベイに面するエリアになります。位置関係については以下簡単に、地図にエリアの名前を書き加えましたのでご覧ください。
そんなメトロ・マニラのマラカニアン宮殿を訪問される両陛下は、28日に現地での交流会などに出席されます。現在マニラに在住している日本人は1万9千人程度(2014年)ですから、もちろん全員が出席できるような交流会ではありませんし、自分も参加はしません。この現地の声に耳を傾けられること、意外とできないことですが非常に大切なことだと思います。筆者も自分自身NGOとしてこれまでセブで現地の声を聞き続けてきましたし、現在もマニラでその気持ちを失わないように心がけています。フィリピンのことを知るのに一番早くて確実な方法はフィリピン人から話を聞くことに他なりません。個人的には両陛下が参加される交流会が形式だけのものではなく、個人が自分の言葉で気持ちを伝えられるような時間になれば良いなと思います。
次の29日にはカリラヤ湖の近くにある慰霊碑を訪問されます。慰霊碑は日本政府が建立したもので、今回が初めての訪問になるそうです。カリラヤはメトロ・マニラから東側、ラグナ湖を超えて片道3時間〜4時間程度の道のりになります。両陛下はメトロ・マニラ内の安全性が確保される場所に宿泊されるでしょうから、往復最大8時間程度を移動することになると思います(ヘリなど別の移動方法が使われればその時間は大幅に短縮されます)。ご高齢の体には非常に堪えると思いますが、そこまでしても訪問される事になったのは、フィリピンがが第2次世界大戦の激戦地になったことが大きな理由であると思います。
「レイテ沖海戦」「レイテ島の戦い」という言葉を聞いたことのある方もいらっしゃると思いますが、このレイテ島はフィリピンの島です。リゾートで世界的に名高いセブ島の北東、セブから船で2時間程度の場所にあるこの島は今でも戦没者慰霊のために、毎年関係する日本人が訪れていることでも知られます。2013年に台風ハイエン(ヨランダ)がレイテ島を直撃した際には大きな被害が発生し、筆者も現地で支援活動に従事しました。レイテはこの島の入口で港を有するオルモックという街が若干発展している以外は、ほとんどが自然に囲まれている状態です。そんなレイテで、旧日本軍は何万もの死者を出してしまったといいます。その他にもルソン、スールー海、ミンダナオ、モロタイ、ミンドロなど全土に戦いの場所は広がり、多くの命が失われる結果となりました。
カリラヤの慰霊碑は、戦争犠牲者の追悼やフィリピンとの親善を目的に、昭和48年、日本政府が初めて海外に建てた戦没者の慰霊碑です。中央の石碑は遺骨を入れる箱をかたどっていて、台座の底には亡くなった兵士たちの銃剣や水筒などの遺品が納められています。後ろの壁には「比島戦没者の碑」と刻まれた石版が埋め込まれ、壁の両端は前にせり出た形になっていて、異境の地で殉じた兵士たちの霊を迎える家族の懐を意味しているということです。戦没者の遺族らの要望によって建てられ、日本政府から委託を受けたフィリピンの公営企業が維持・管理に当たっていて、昭和51年には周囲に広大な日本庭園も整備されました。毎年8月15日の終戦の日には日本側主催の慰霊祭が開かれ、戦没者の遺族や元兵士、それに日本とフィリピン両国の政府関係者などが参列しているほか、日本から訪れた慰霊団がたびたび追悼式を行っています。厚生労働省によりますと、フィリピンには、ほかにも日本の戦没者の遺族や元兵士らによって建てられた慰霊碑が、およそ200か所にあるということです。
今回のご訪問では両陛下の「戦争への償いの気持ち」が込められていると各種ニュースで目にします。これまでにも様々な国で慰霊式典に参列されている両陛下ですが、一国の、そして敗戦国の「エンペラー」が自国の戦争と向き合い続ける姿勢を維持することは、想像を絶するほどに難しいことだと思います。激戦地を訪れれば未だに遺恨の残る現地の方々から痛烈な意見をかけられるこも多々あるわけです。それをわかっていて訪問するというのは、日本という国を代表しての責任感の表れでないかなと思います。もし仮にこういったご訪問の結果で、フィリピンの方々が今よりも一層日本を良い目で見てくれるようになればそれは素晴らしいことであるし、両陛下のような特殊な立場の方にしか、1つの行動で他国の国民感情を一気に変えることのできる影響力はないわけですから、筆者のような一般人はそういった各国の要人が良い動きを起こしている時に個人レベルでフィリピンの人たちから信頼を失うような行動をしてはならないなと思います。
最後に今回両陛下のご訪問をきっかけに改めて考えた個人的な想いも少し書き残しておきたいと思います。
筆者は23歳でセブに移住し、現在メトロ・マニラで旅行業に従事しています。その中で、マニラ周辺の夜遊び、それはフィリピン人女性がたくさんいるようなお店を目的として現地を訪問している日本人を多々目にします。先日会社のクリスマスパーティーを自宅で開催した後、カラオケに行こう!とスタッフに誘われて、男女混ざった社員全員でそこからカラオケに訪れました(日本人は筆者1人)。英語の歌もたくさん歌えるのですが、せっかくなら日本語の歌が歌えるカラオケにしようという配慮をしてもらっておまかせで連れて行ってもらうとそこはフィリピン人女性が席についてくれるような場所でした。もちろんその時は社員みんなで行ったので僕の横にも女性は付きませんし、ただただみんな歌いまくって終わったのですが、あまりにもフィリピン人スタッフが盛り上がっているので少し暇をしていて、オーナーをしているおばあさんとしばし話しをしました。
オーナーの方によるとその店は1980年台から90年台中盤まで大いに盛り上がっていたそうで、連日多くの日本人、それはほとんど男性が訪れては夜の街にフィリピン人女性と消えていったとのこと。しかし現在は年々その数が減っており、以前のように開いているだけで繁盛するお店もそれに従って減っていったとのことでした。マニラと聞くと日本では混沌としたイメージや、こういった現地女性を目的とした日本人男性のイメージが色濃く残っていると思いますが、そういった時代から現在は段々と観光地、留学、ビジネスの場としてのイメージが強くなってきていますし、実際にそれは起こっている変化です。
日本に住んでいると海外の情報というのは大抵の場合、悪い大きなできごとが多くの割合を占めてきます。そして報じられることはセンセーショナルな、衝撃的な内容を伴うことも多いでしょう。日本人という国籍のカテゴリーは、戦争を経てカラオケで大いに盛り上がってきて、夜遊びもして、フィリピンに一定程度の悪影響を及ぼしてしまったことは確かなことであると思います。そしてその影響を受けて今でも傷ついている女性がいること、シングルマザーになってしまっている人がいること、そういったことをこの機会に認識する機会になるのではないかと感じています。成田からたった4時間、時差も1時間しかないフィリピンという国のことを考えた時、これから日本人ができることはなんだろうか。まずは間違ってることを間違っていると認識して正すことではないでしょうか。天皇皇后両陛下が戦争について謝意を表明したり、激戦の地で祈りを捧げている一方で、未だにマニラで夜遊びをしている日本人がいるという事実を認識し、カラオケで生計を立てていた人たちが他の仕事を見つけられるようにすることや、観光業の更なる発展により正しいメトロ・マニラの現実を日本に広げることに筆者は取り組んでいきたいと考えています。女性2人で訪れてもメトロ・マニラは非常に魅力的な場所が多く、セブやボラカイなどフィリピン国内の他のリゾートと合わせて楽しむことができます。現地で楽しむ方法は無限大ですから、お互いが笑顔で楽しめる国際交流を観光を通して日本とフィリピン両国が行っていけるとうれしいなと思います。
明日から30日までの天皇皇后両陛下のご訪問は歴史にも残る重要なものになると思います。このきっかけを大切にして、メトロ・マニラを訪れる人や現地に在住している筆者のような日本人がフィリピンに良い影響を与えていけるようにしていきたいですね。今回は20代の海外就職とは少し異なるテーマになってしまいましたが、現地からの発信が少しでも価値のあるものになれば幸いです。
転載元記事:天皇皇后両陛下が訪問されるマニラに住んでいる身として考えること
今回は筆者の個人のブログから、今回の天皇皇后両陛下のマニラご訪問について解説致しました。マニラはフィリピンの首都であるため、時事的なトピックが度々上がってきますので今後もこういった記事を発信していきたいと思います。
(倉田拓人/Takuto)